Mesoamerica

ホヤ・デ・セレン

エルサルバドルのラ・リベルタ県で1976年に発見された考古遺跡である。火山灰層に埋もれる形で先コロンブス期のマヤ農耕民の集落がほぼそのまま保存されていたことから、「メソアメリカのポンペイ」[1][2]とも呼ばれる遺跡で、1993年にUNESCOの世界遺産リストに登録された。エルサルバドル初の世界遺産であり、2019年の第43回世界遺産委員会終了時点で同国唯一の世界遺産でもある。
遺跡名のホヤ・デ・セレンはスペイン語で「セレンの宝石」[注釈 1]を意味し、その遺跡の価値の高さから命名された

遺跡の形成 セレンはマヤ文化圏の南東端に当たっていた。この地域では、紀元前1200年頃に農業を営む小さな集落が成立していたが[4]、西暦200年頃にイロパンゴ山がたびたび噴火し、現在のエルサルバドル中西部にあたる一帯を溶岩と火山灰とで荒廃させたため、誰も住まない土地となった[5]。400年頃に再び人々が住むようになり、6世紀になるとセレンの村落が築かれたと考えられている[5]。
しかし、590年頃[6][7]に、 別の近隣の火山であるロマ・カルデーラ山(英語版)が噴火し、村落は14層の火山灰に埋もれてしまった。村民たちは避難することができたので巻き込まれた遺骸などは見つかっていないが[8]、慌しい避難だったらしく、日用道具類、陶磁器類、家具、果ては食べかけの食事などまでが後に残された。比較的低い温度の火山灰が、わずか数時間のうちに4mから8mの厚い層をなして村落をすっぽりと包み込んだおかげで、遺跡の保存状態はかなり良好なものとなったのである

発見と研究
遺跡は1976年に、サン・フアン・オピコ近郊に小麦用のサイロを建設するという政府の農業計画に基づいて一帯を平らにならす作業中に、ブルドーザーの運転手が偶然に発見した[10]。1978年と1980年にはコロラド大学ボルダー校の考古学教授だったペイソン・シーツ(英語版)による最初の本格的調査が行われた[11]。その後のエルサルバドル内戦によって調査は中断せざるを得なくなったが、1989年に発掘が再開され、それ以降継続されている[8][12][13]。火山灰からは日干しレンガの建物17棟が出土し、貯蔵室、台所、居住区画、作業場などが見つかっている[14][15]。ほかに共用の施設としては共同浴場や大集会場、さらに宗教的機能を持っていたと推測されているピラミッド状の建造物もある[16]。
遺跡からは古民族植物学(英語版)的な遺物の数々も発見されている。すみやかに降り積もったロマ・カルデラの火山灰は比較的低温・湿潤であったため、植物に関する痕跡を多く手に入れることができたのである。わけても重要なのがキャッサバ畑の発見で、新世界の考古遺跡で発見された現存最古のキャッサバ耕作地である[17]。キャッサバは分解して長く経っていたものの、研究者たちは灰の中に空いた空洞を満たす形で石膏の型を作り出した。セレンの農夫たちは噴火するまさに直前にキャッサバを植えたのである[17]。ほかにも、トウモロコシ畑については、収穫期と生育期のトウモロコシが植わっていたことが明らかになっているし、赤インゲン豆、カカオ、チリトウガラシなども見つかっている
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%83%A4%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%BB%E3%82%BB%E3%83%AC%E3%83%B3




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